徳川家康

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徳川家康

徳川家康 (1543年 - 1616年)[編集]

とくがわ いえやす、戦国・安土桃山時代から江戸時代初期の武将、征夷大将軍。

  • 此城ハ太閤日本の人数を集め石積に被成候、自然の事出来候て鉄炮の玉に事かき候はヽ、本丸天守に金銀入置候、取出し玉に鋳て打れよ、 -- 『慶長年間卜斎記』
会津征伐に出陣する際、伏見城を守る鳥居元忠へ与えた指示
  • 西ふさかりてあり、今日明ケに参る、 -- 『同上』
関ヶ原合戦で江戸を出陣する際に石川家成より、今日が西塞がりであることを伝えられた際の返答
  • 敵の方へ、 -- 『同上』
西軍出陣の報を聞き、急遽出陣した際に進軍方向を問われた際の返答

仮託・誤って帰着されるもの[編集]

川柳[編集]

  • 夜話のとき或人の云けるは、人の仮托に出る者ならんが、其人の情実に能く恊へりとなん。
     郭公を贈り参せし人あり。されども鳴かざりければ、
     (中略)
     なかぬなら鳴まで待よ郭公    大權現様
    -- 靜山松浦清『甲子夜話』巻五十三〔八〕(松浦静山著、中村幸彦 中野三敏校訂『甲子夜話』4、東洋文庫 333、平凡社 、昭和53年)

遺訓[編集]

一般には『神君御遺訓』『家康公御遺訓』として知られるが、家康本人のものではなく偽書とされる。

  • 人の一生は、重荷を負うて遠き路を行くが如し。急ぐべからず。
  • 不自由を常と思えば不足なし。
  • 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
  • 堪忍は無事長久の基。
  • 怒を敵と思え。
  • 勝つことばかり知りて負くるを知らざれば、害その身に至る。
  • 己を責めて、人を責むるな。
  • 及ばざるは過ぎたるに勝れり。

自分を責めても人を責めるな